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瑞穂区の東海道 今むかし

2011年11月23日

セミナー会場となった瑞穂区堀田通のブラザーコミュニケーションスペース。

2011.11.23
 「瑞穂区の東海道 今むかし」…タイトルに興味を持ち、自分の暮らす町の歴史や昔の風景を知りたくなって、瑞穂区役所主催のセミナーを傍聴しました。

 今回のセミナー会場となったのは、瑞穂区の代表的な地元企業の一社であるブラザー工業株式会社(本社: 瑞穂区苗代町)の交流施設「ブラザーコミュニケーションスペース」で、セミナーでは、白壁アカデミアから池田誠一氏を講師に迎え、「三つの東海道~街道から見た瑞穂区」と題した講演等が行われました。


タイトルに興味を持ち参加した「瑞穂区の東海道 今むかし」のセミナー。

 東海道は、徳川幕府時代の五街道(東海道=江戸~京都・中山道=江戸~草津・日光道中=江戸~日光坊中・奥州道中=江戸~白川・甲府道中=江戸~下諏訪)のひとつで、当時の東海道は、市内の有松~鳴海~熱田を通り、私の暮らす瑞穂区内では、鳴海と熱田との間に、現在は堀田通交差点となっている八丁畷が通じていたとのことです。

 今日の講演では、東海道が造られた当時の地理と歴史が、現在、残されている写真、地図などの資料を通じて講演されましたが、私が最も興味を持ったのは、江戸時代以前の瑞穂区と東海道の内容で、東海道には、古代(飛鳥、奈良、平安時代)、中世(鎌倉、室町、戦国時代)と近世(江戸時代)の三つの時代の東海道があり、その諸説とそれにまつわる瑞穂区内の史跡、地名との関係の話は印象に残る興味深いものでした。

 古代の東海道は、道というよりは五畿七道(都周辺五畿地域と都を中心に放射状に造られた道制)から始まり、その時代々の東海道は、海と干潟、川、山などの地理条件を反映しながら、それぞれの時代の政治・経済・文化などを繋ぐ道として変遷し、瑞穂区内での東海道の歴史を伝える最も古い史跡は、私の直ぐ身近にある瑞穂競技場東側の「あゆち水(あゆちの水)」とのことです。


明治頃、瑞穂区内を通っていた東海道八丁畷(現在の堀田交差点)の写真。

瑞穂陸上競技場東側の残る「あゆち水(瑞穂区師長町)


中世の東海道の経路諸説を表した地図。

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 そして、その後の中世東海道でも、瑞穂区内の東海道経路は、御器所~高田~大喜~井戸田・熱田~井戸田のルートや井戸田~中根~島田、井戸田~山崎~笠寺などの様々な諸説があるとのことで、その時代の地理と土木技術との関係などの話を聞きながら、現在の瑞穂区の風景とを重ね合わせていくと、私の想像もどんどんその時代にタイムスリップしていくようで、今日の講演はとても有意義なものでした。

 ただ、今日の私の日程は、先の児童虐待事件の検証のために今日中に高知県入りしなければならず、セミナーを途中退席することとなってしまいましたが、こうしたセミナーにも時間の許される限り参加して、大好きな我が町の歴史を紐解いていきたいと思います。

※それぞれの写真はクリックすると拡大します。