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「開府500年のまちの姿懇談会」…名古屋城天守閣木造化構想

2009年12月27日

2009.12.27
 「開府500年のまちの姿懇談会」を傍聴しました。
 この懇談会は、先週の定例記者会見で河村市長から発表されたもので、
河村市長は、
 「開府500年のまちの姿懇談会を名工大堀越教授を座長として今週末に開催する。」
 「歴史的観点では、名古屋は千年の古都、熱田神宮入れると1900年。」
 「この講座では、名古屋出身の歴史作家、学者の井沢元彦さんも参加して、名古屋の街についてのレクチャーを受ける。」
と力説、懇談会をPRしましたが、当日は、「市議会臨時議会」、「来年度予算のパブリックヒアリング」、「平針の里山問題」と重要課題が山積する中での発表となり、残念ながら話題性として今一つの感が伺えました。


懇談会冒頭で、「他都市の人に名古屋を案内する時、どっかつれてってちょーといわれると悩む」と挨拶する河村市長。

 今日の懇談会の冒頭挨拶で河村市長は、
 「名古屋のアイデンティティー、自慢が欲しい。」
 「他都市の友人が名古屋を訪れ、”どっか連れっててちょー”と言われると悩まないかん。」
 「実は、熱田神宮は1,900年の歴史があって”草薙の剣見せてちょー”と言っとるんだけど…熱田神宮の歴史PRも確立したい。」と挨拶し、
引き続き、堀越座長から懇談会の検討方針が発表された後、河村市長推薦の井沢元彦氏による「名古屋のまちの歴史について」と題した講演が行われました。

 井沢氏の講演では、戦国時代前〜戦国時代〜江戸時代〜大政奉還までの政治と権力構造の史実検証と解説はとても興味深く、当時の「武士と政治」「農地」「年貢」「商工人の暮らし」を現代の「行政と政治」「財政」「税金」「経済」とを比べながら聞くことができる話の内容は、とても解りやすく有意義なものでした。

 また、当時の一部の既存権力が油の利権などを独占していた現状に対して、戦国時代の風雲児と言われた織田信長が行った改革の具体例なども示され、なるほど、"信長好き"の河村市長が同氏の推薦する意図もよく理解できました( 一一)


約1時間に渡る講演を行った歴史作家の井沢元彦氏

 講演の後半では、将軍徳川吉宗と尾張藩主徳川宗春の政策比較も展開され、 「吉宗の財政立て直しと緊縮政策は民にも及び、結果、江戸の活性化には繋がらなかった。」と吉宗政治を冷静に分析し、対する宗春政治には、「中央が受け入れない芸能などを尾張藩で受け入れ、規制緩和とともに町は賑わい活性化したが、財政難を生み出した。」と両者の功罪を比較しました。
 私は、「行革で10%減税を行うとして、地域委員会による地域分権を推し進め、市債は借金ではないと臆びもせず言い放ちながら、名古屋城天守閣を木造で作り直すと宣言する河村市長は、果たして、吉宗型か?宗春型か?」と考えてながら、同氏の講演を聞いていました。

 講演の最後に同氏は、名古屋開府500年に向けて、「名古屋城天守閣も木造で造ったらどうか?」……(あれっ…どこかで聞いたような(・o・))……と発言し、「100年、200年の計画で、事実に基づいて名古屋城を昔の姿に戻していく。」「あの姫路城も昔の地ではないし、江戸城復元は東京の半分くらいになるので現実的ではない。」と"江戸時代の名古屋城復元プランの有益性"を力説し、河村市長の「天守閣木造化構想」を後押ししているようでした。
 なるほど(その2)、河村市長が定例会見で力説、PRした今回の懇談会開催の趣旨がよく理解できました(-_-)

 その後、出席学識者の意見交換、堀越座長の取りまとめが行われましたが、「昔の名古屋城に戻していく。」、「江戸時代の名古屋城を…」などのキーワードで懇談会の結論が締めくくられた感もあり、今後この懇談会は、河村市長の「名古屋城天守閣木造化構想」を既成事実化する会ともなりそうです。

 最後の挨拶で河村市長は、「名古屋を色気のある町にしたい…色気とは文化も含めてで"そういう(色気)言い方はなんだ!!"と言われるかもしれんが、そういう非難を受けながらやる方がおもしろい。」と河村市長らしい挨拶((^_^;))で締めくくられ懇談会は閉会しました。


今回の講演、学識者意見の聴講は大変に有意義でしたが…

 私は、今回の懇談会に参加して、講師をはじめ学識者のみなさんの意見を聴講できたことは大変有意義で、名古屋城天守閣の木造化も「夢のある構想」とも思いますが、本来、こうした構想は多くの市民の声によって行政が動かされる姿が理想とも思います。
 また、今回の懇談会には、名古屋城を直接所管する市民経済局幹部の姿はなく、総務局企画部主催で行われましたが、先のブログでも書いたように市施策の基本的計画は、わずか3年の戦略プランだけで、長期計画も策定せず、なぜ、名古屋城だけが100年、200年先の計画を策定できるのか、「こうした本末転倒を気にせず、行政は名古屋城の構想だけを進めていけるのか?」との疑問も残りました。

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