終戦の日…65年前の名古屋
2010年08月15日
2010.08.15
65回目の終戦の日を迎えました。
記録によると終戦を迎える65年前の昭和20年は、名古屋大空襲などの国内空爆攻撃が激化した年でもあります。
名古屋市内への空爆は当初、三菱名古屋工場(現在のナゴヤドーム)の軍需工場や物流施設などを狙った戦略的な爆撃だったものが、後には、焼夷弾による無差別的な市街地爆撃が頻繁に行われるようになり、東山動物園ではこうした空爆被害を警戒し猛獣たちが殺処分され、名古屋城も戦火焼失するなど、名古屋大空襲で市内中心部は焦土化し、1万人以上の死者とも言われる多くの市民の生命と財産が奪われるとともに名古屋市の公的財産も戦争の被害に遭いました。
こうした空爆攻撃は、名古屋の他にも東京、大阪、神戸、横浜を始め、日本各地で終戦に至るまで行われ、8月6日に広島、8日には長崎に原爆投下がされ、日本政府はポツダム宣言受諾を決定、無条件降伏の後、65年前の今日、8月15日の玉音放送で日本国民に敗戦による終戦が告げられました。
終戦の日を迎えた後の10月、当時の佐藤正俊名古屋市長(昭和17年2月〜昭和21年11月=官選 )は、いち早く名古屋市の戦後復興に取り組み始め、当時の土木工学者で近代的都市計画の第一人者と評価されていた田淵寿郎氏を市技監に任命(昭和23年からは現在の副市長にあたる助役に就任)しました。
同氏は、現在100m道路とも呼ばれ名古屋の道路の象徴に位置付けられている久屋大通、若宮大通の道路建設や平和公園墓地の整備による市内墓地集約化などの都市計画を策定し、批判や反対に遭いながらも説明、説得を重ねて計画を推し進め、現在の名古屋市の都市機能の基礎を築きました。
(同氏は、その後も市の地下鉄、連立交通網、港湾整備、名古屋城再建などに携わり昭和33年に助役退任、昭和41年には初の名誉市民となりました。)
私は今年も当時の戦闘、戦災で亡くなられた多くの方々への冥福を祈るとともに、敗戦ショックと混乱が続く戦後の日本で、激動の戦後復興を力強く築いた先人たちの尽力に感謝し、私たちの郷土、名古屋の平和と発展を後世に引き継ぐ努力をあらためて決意しています。


