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箱館奉行所

2010年08月19日

復元工事が完成し、7月29日にオープンした箱館奉行所。今日も多くの見学者が訪れ、小学生のみなさんの写生会も行われていました。

2010.08.19
 北海道函館市では、戊辰戦争で、新政府軍と旧幕府軍の最後の戦い(箱館戦争)の場となった五稜郭跡内に箱館奉行所庁舎が140年前の姿で復元され、本年7月29日に函館市教育委員会の施設としてオープンしました。
 箱館奉行所は、幕末開国の箱館港開港に伴う江戸幕府の蝦夷地(現北海道)統治のための施設で、1857年から始まった五稜郭築造と併せて、1861年から建築が始まり、1864年に完成し、明治元年(1868年)~2年(1869年)までは、戊辰戦争時の旧幕府軍の本拠地となりましたが、旧幕府軍の降伏による戦争終結後の明治4年(1871年)には、完成からわずか7年の使用で明治政府によってその大半が取り壊されました。

 今回の箱館奉行所の復元では、昭和61年~62年にかけて奉行所調査跡の発掘調査が行われ、平成12年に復元構想、平成13年に復元計画が策定されて、平成17年の再発掘調査後、平成18年~22年にかけて、総事業費約27億円で復元工事が行われました。


五稜郭跡内の「一の橋」、「二の橋」を渡ると箱館奉行所が姿(上の写真)を表します。

五稜郭跡が一望できる五稜郭タワーには、函館戦争の記録も提示されています。


五稜郭タワーから見た五稜郭跡、箱館奉行所は城内のほぼ中央に位置しています。

 函館市では、今回の箱館奉行所の復元工事に際して、発掘調査結果や文献、古写真などを手がかりに、当時の約3000㎡の奉行所の遺構の内、行政機能を担った1000㎡の奉行所部分を可能な限り当時の姿に近いかたちで復元を行い、奉行役宅などの残り2000㎡部分は、地面に部屋割りを表示しています。
 また、参考文献として使用された当時の奉行所の古写真が撮影された位置に地面表示を設置して、今回の復元状況と当時を奉行所を比較できるような工夫も施されています。


1868年に撮影されたと伝えられている箱館奉行所の古写真。

今回の視察で撮影した復元後の函館奉行所、左の古写真との比較のためにモノクロ加工してみました。


案内板前の地面表示(本写真右側)から撮影すると左の写真となります。

 名古屋市では、昭和20年の名古屋大空襲で焼失した名古屋城本丸御殿の復元に取り組んでいますが、今回、視察した箱館奉行所も創建当時に限りなく近付けた復元のために木造建築による復元が行われています。
 北海道の中でも江戸幕府の開国後の歴史的建築物等が多く市内に残されている函館市にとっては、明治維新や戊辰戦争、箱館戦争時代等の史跡は、歴史的観光名所としても重要な役割を担っているようで、地元のタクシー運転手の方に伺ったところ、「箱館奉行所オープン時から今年の夏の観光客数も増えている。」とのことでした。


奉行所正面玄関、木造復元の奉行所入場は、靴を脱いでの見学となります。

玄関~使者の間、入場すると直ぐに木の香りが迎えてくれます。


多くの宮大工や職人たちの復元作業の様子を紹介するテレビ映像。


壱、弐、参、四之間からなる72畳の大広間。

箱館奉行所の中庭から見た、奉行所中央の太鼓櫓。


細部に渡って、当時の木造建築を再現する箱館奉行所。


五稜郭と箱館奉行所の歴史解説が行われている歴史発見ゾーン。天井には開口部が開けられています。

左写真の天井開口部。当時の建築工法を見学できます。


太鼓櫓に上がる階段等も復元されていますが、昇ることは出来ません。


鉄砲、大砲などの近代戦兵器が用いられるようになった箱館戦争当時の兵器の展示。

箱館戦争時代の歴史人物の解説。写真の駒を置くと解説が表示されます。


箱館奉行所復元工事の様子を紹介する映像シアター

※それぞれの写真はクリックすると拡大します。

◆函館は、1450年代から「箱館」とされていましたが、1869年(明治2年)に旧幕府軍の降伏後、明治政府によって函館に改称されました。本ブログでは史実に基づき「箱館」「函館」の表現を分けています。