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岩手県陸前高田市②

2011年04月05日

飲料水や食糧品を中心にショーケースが空いた売店


秋田空港には、被災地に向かう援助隊員や被災地に向かうと思われる乗客の姿が見られました。

2011.04.05
 名古屋から陸前高田市には、中部空港~秋田空港→バスで秋田駅→新幹線で秋田駅~盛岡駅→そして、盛岡からは、車で高速道路を利用し、一関インターから一般道を通るルートで向かいました。
 移動のための所要時間は約8時間、帰りは約9時間の行程となり、震災の影響で新幹線などが運休となる中、名古屋から秋田県を経由して、岩手県の被災地までの移動方法は、決して便利と言えないものです。
 それでも、こうした移動ルートを利用して、名古屋方面から被災地に向かう方は多く、秋田空港行きの乗客は、大型スーツケースやリュックを持って被災地に向かう方や援助チームの姿も見られ、帰りの便でも被災地からの帰路と思われる方々もありました。


移動中に通過したトンネルでは、内部照明が消されていました。

消灯状態となっていた被災地付近の町の幹線道路の街路照明。

 今回の移動ルートでは、盛岡から一関市まで、被災状況に触れることはありませんでしたが、震災被害か節電のためかは不明ですが、移動中に通過したトンネルの照明は消え、夜間の幹線道路でも街路灯が消えたままの地域もあり、空港、駅などでは、必要最少減の照明以外は節電のために消されていました。
 そして、一関市内に入ると地震で倒壊した建物などが所々に見え始め、更に陸前高田市の市街地付近に来ると景色は一変し、想像を超えた惨状が目前に表れました。


津波で押し流された市内の惨状。

津波に押し流されたのか、広告塔と思われる鉄骨支柱の構造物も倒れた状態。


水没した県立高田病院。病院付近も殆ど建物は無くなり壊滅状態。

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 東日本大震災で甚大な被害を受け、市域内の約7割~8割が水没したとされる陸前高田市の市街地では、映像、画像では伝わらなかった被災地の惨状が広がり、臭いや粉塵などに加え、津波に押し流された市街地は、廃墟と瓦礫が続く荒野となり、所々に残された建物からは、地上4階~5階までが津波に襲われた凄まじい状況が残されていました。


地上4階部分まで、水没したと思われる建物は、津波発生当時の凄まじさを物語る。

沿岸付近にあった市営第一球場付近の海水は、未だ引かない状態。


被災した市街地での夕日、被災前の陸前高田市は、美しい自然景観であったのだろうと想像すると無念です。

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 避難所の玄関を入ったフロアに設けられた情報提供の掲示板には、行方不明となっている家族の情報提供を求める掲示が壁いっぱいに貼られ、その中には、3才と5才の兄弟、2才の幼児の情報を求めるものもあり、そうした掲示を見たとき、唯々、無念さが込み上げてきました。


避難所となっている市立第一中学校。陸前高田市では82ヶ所の避難所に約13000人の避難者が暮らしています。

市立第一中学校の校庭に整備された仮設住宅。


行方不明者を探す掲示などが貼られた。避難所内の情報コーナー。

陸前高田市の被害状況
人口 23,164人 (23.3.1現在)
世帯数 8,196世帯 (23.3.1現在)
死者 993人(23.3.29現在)
行方不明者数 1,297人(23.3.29現在)
避難者数 13,533人(23.3.29現在)
人口被災率 68.3%(23.3.29現在)
避難所数 82ヶ所(23.3.29現在)


 東日本大震災発生から3週間が経った被災地の状況は、未だに凄まじいもので、公共施設も含めて、殆どの行政機能を奪われた陸前高田市の支援に向けて、名古屋市では、被災地の行政機能を補完する職員派遣などの支援策の検討が進められています。

 津波の直撃を受け、人口の約半分以上が避難生活者となり、町を丸ごと失ったと言っても過言でない陸前高田市の惨状を目の当たりにした私は、未だに詳細な被災状況や情報を得るに至っていないのが現状ですが、今、出来ることは、被災者のみなさんが1日でも早く日常生活を取り戻せるよう、現地で見聞きした被災地の様子をひとりでも多くの方に伝えていくことと思います。

※それぞれの写真はクリックすると拡大します。