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宮城県石巻市・女川町

2011年06月19日

地震、津波、火災に見舞われ、甚大な被害を出した宮城県石巻市

2010.06.19
 宮城県石巻市と女川町の被災地を宮城県議会の須田義明県議の案内で視察しました。
 案内をして頂いた須田議員は、かつて自民党青年局長会議で知り合いともに交友を深めた自民党議員の同志で、須田議員自身も女川町にある自宅を津波で流され、多くの支援者、友人を東日本大震災で失った被災者の一人でもあります。

石 巻 市

 石巻市は、宮城県北東部に位置する人口約163,000の都市で、東日本大震災では大津波と合せて火災も発生し、死者3097人、行方不明者2770人の被害が出ています。
 今日の視察では、沿岸部で壊滅的被害を出した石巻港、石巻漁港を視察しましたが、須田議員の説明では、石巻港と石巻漁港は、この地域の産業の中心で現地雇用を支える港とのことで、日本製紙工場がある石巻港では鉄道も寸断状態となり、水産加工工場が集まる国内でも有数の石巻漁港付近では、瓦礫郡とともに鼻を突くほど悪臭も酷く、津波で打ち上げられたタンクや船舶なども未だ残された状況です。


石巻港にある日本製紙工場(左)と津波によって崩壊した鉄道線

津波の直撃を受け、壊滅状態となった石巻漁港。写真は水産魚市場。


石巻港・石巻漁港を行き交う自衛隊車両。



  • 津波によって、防波堤や陸地に押し上げられた大型タンクや船舶

女 川 町

 石巻港、石巻漁港を視察後は、須田議員の出身地でもある女川町に移動しました。
 女川町は、石巻市と隣接する人口約10,000人の漁港町で、東日本大震災では、死者496人、行方不明428人の被害が発生しています。 
 石巻市から女川バイパスを通り、女川町の市街地に入る途中で、須田議員が「ふじたさん、ここが"被害の境界線"でした。」と車を止めて説明された場所は、海抜数十メートルはあるだろうと思われる高台でしたが、"被害の境界線"と差し示した場所から数メートル下の民間では、家屋内で家族3名人が水死したとのことで、ここの他でも、津波や高潮が届くとは思えない高台で波にのまれて水死した世帯がいくつもあるそうで、「100メートル逃げれば助かったかもしれない。」と悔し気に語る須田議員に私は、言葉を失い、うなづくしかありませんでした。


女川バイパスで丘陵部から市街地にはいる途中、須田議員が「被害の境界線」と指し示した線。(青線)

女川バイパスから反対側に廻り、海抜16mの丘陵から見た被害水位。


須田議員の説明では、津波の水位は約18mで屋上、鉄塔を上った被災者は辛うじて生存できたとのことです。

  • ※写真内の線は、説明に基づいて推定したものです。

基礎部分から転倒した公番。建築関係者が調査に訪れ、保存の動きもあるとのこと。

地元の方の要望を受ける須田県議会議員。被災者からの要望は連日とのこと。


津波被害は無くても、海水で浸水した農地の塩害も深刻。

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 女川町内の被災状況を視察途中では、入居が始まっている仮設住宅にも立ち寄り、仮設住宅入居が決まった須田議員の友人に住宅内を見せて頂きましたが、仮設住宅への入居は決まっても、多くの被災者には就労先が無く、今後の生活に不安を抱えているとのことで、その後の昼食で立ち寄った食堂でも、須田議員の支援者の方をお会いし、会社が津波によって被災し、最近ようやく操業のめどがついたというその方からは、「これからの2年をどうするかですよ。」と仮設住宅等の入居期間が限られた中で、自立のための生活設計を求められ始めた被災者のみなさんの切実な現実を伺いました。


入居が始まった仮設住宅(2DK)、ここで家族3人の生活が始まるそうです。

仮設住宅のキッチン。テレビ、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、洗濯機は日本赤十字社からの支援品。


仮設住宅建設が急ピッチで進められていますが、石巻市では約6,000人、女川町では約1,200人が未だ避難所生活とのこと。

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 昨日の宮城県七ヶ浜町の仮設住宅や今日の女川町の被災者のみなさんの話を聞く機会を頂いた両日の出来事を振り返えれば、私たちは、東日本大震災被災地を視察すると、その町の外形的惨状や瓦礫の山に目を奪われがちですが、今、被災地で求められているのは今後の生活再建で、特に人口規模の小さな町では、仕事を求めて住民が地域外に転出してしまうことは、深刻な課題で、現地での雇用対策が重要な課題のひとつとなっています。

※それぞれの写真はクリックすると拡大します。