調査レポート

調査レポート

市民生活のライフライン 平成21年5月

市民生活のライフラインの裏側を調査しました。
 地下鉄名城線の大幸車庫の調査を行い。
地下鉄の整備や清掃の様子を視察、普段見慣れた地下鉄車両ですが、その運行の裏側を見せて頂き、地下鉄は、運転手さんと車掌さん、駅員さん以外にも大勢の人の力で毎日安全に動いていることをあたらめて感じました。
 また、市民へ水道水を供給する木曽川取水口(愛知県犬山市)を視察しました。取水口では、木曽川の水の水質管理を行い、一定の水量を保ちながら市水道水が取水されています。
 名古屋市の水道計画は、明治の頃までさかのぼり、当時、入鹿池からの取水計画もあったそうですが、現在の木曽川と水源とした計画には、当時の政治家や関係者たちの先見性にも触れ、あらためて、名古屋の水文化の意味深さと先人の功績を痛感ました。


地下鉄名城線を管理、運行する大幸車庫


地下鉄大幸車庫は、ナゴヤドーム前矢田駅とナゴヤドームを結ぶペレストリアンデッキの下に面積41,000㎡の地下2階構造で整備され、地下鉄名城線の毎日のダイヤ管理や地下鉄車両の留置、検車、清掃などが行なわれ、市民生活の足としての地下鉄を毎日、安全に運行するための役割を果たしています。


地下鉄の整備ドック

車両底の整備用通路


車両の清掃風景


地下鉄版のドクターイエロー


犬山市にある市水道の木曽川取水口


 名古屋市の水道の歴史は、明治27年、内務省衛生局顧問W.Kバルトン氏の報告書を基に入鹿池を水源とした自然流下法計画から始まり、その当時は、市の財政事情等の理由で見送りとなりましたが、その後、明治36年、上田敏郎技師の調査報告による木曽川引用を採用した計画が、当時の市議会で議論されました。
 その当時の世論は、財政事情などの理由からの反対などもあり、賛否両論が入り乱れていたとのことですが、後に市長となる市会議員 加藤重三郎氏は、市の水道整備の必要性を演説し、明治39年に市議会は木曽川引用による水道整備計画を可決し、明治43年には着工、大正3年に完成、木曽川からの水道水の配水が開始されました。
 その後、昭和8年には、新たな取水口(昭和48年から県との共同取水口)を整備し、創業当時のものを切り替え、昭和32年には、あらたに現在の第一取水口を加えて整備し、現在に至っています。
 現在のふたつの木曽川取水口下流の犬山城下には、堅い岩盤をくり抜いたトンネルがありますが、計画が始まった明治当時は、そのトンネルと同地質の岩盤を職人たちが、のみなど手仕事道具だけの手作業で工事を行った軌跡が、今も残されており、先人の偉業の跡を感じさせます。


名古屋市の利水権を示す表示

木曽川第一取水口


木曽川取水入口


取水口を撮影

腕を伸ばして取水口内部を撮影


撮影後そのまま現地説明を受ける


木曽川からの取水量のパネル

木曽川取水口から配水するポンプ施設


明治当時は、岩盤をくり抜く難工事

※それぞれの写真は、クリックすると拡大します。